平成16年(2004年)12月25日付の有限責任中間法人徳洲会の専務理事の任命書を理事長である徳田虎雄先生から受け取りました。有限責任中間法人徳洲会は現在の一般社団法人徳洲会の前身です。辞令の翌日にはスマトラ沖地震が発生しました。一報は開院間もない山形徳洲会病院で聞きました。徳田虎雄理事長からすぐに現地に飛べと言われ、そのまま帰宅もせずにタイ・プーケットには12/28に着きました。プーケットの行政当局からは医療は間に合っているから支援は不要だと言われましたが、実際に調べてみるとプーケットの北部カオラック海岸の被害は甚大で、そこで発生した患者を受け入れていたタクアパ病院では患者に対応できず、病院閉鎖も考えているとのことでした。そうした窮状を知り、タクアパ病院の支援を決定し、2005年の正月はタクアパ病院で迎えました。この支援活動では元バンコク知事で、タイの副首相も務められたチャムロン氏が段取りをして下さったのでタイの医師免許も持たない私たちの医療活動もスムーズでした。
一方、スマトラ沖地震で最大の被害を受けたインドネシア・バンダアチェへの支援に向かったチームの活動は困難を極めました。政府がアチェ州への外国の医療チームの受け入れを制限していたからです。このため徳洲会による本格的に復興支援は2005年3月になりました。被災から3月が経過していたにもかかわらずバンダアチェ最大の病院であるアビディン病院はまだ泥まみれでした。循環器診療しか知らない私にとってインドネシアでの支援は初めて経験することばかりでした。タイにおけるカウンターパートであったチャムロン氏のような人物がいなかったために、ジャカルタの日本大使館への現地入りの届け出、インドネシア政府や現地警察への現地での活動許可申請、国連の支援組織(OCHA)への活動の届け出等初めて経験することばかりで戸惑いましたが、良い経験でした。海外で医療活動を行うことは当然のように簡単ではなかったのです。得体のしれない組織の人間に医療活動をさせる訳にはいかないので日本政府の認可を受けたNGOの法人格を持っていた方が良い等ということもこの時に知りました。そうした勉強を経て誕生したのが徳洲会のNPOであるTMATです。
アチェでの支援活動は評価され、徳洲会はインドネシア政府から感謝状も頂きましたし、アチェを訪問された当時の小泉純一郎首相の主催されたアチェでの昼食会には、徳洲会を代表して私が出席しました。
2004年12月から2005年5月まではほとんど家族の住む鹿屋には帰れませんでした。帰国後も全国の徳洲会病院で報告会を開くように徳田虎雄理事長から指示を受け北海道から沖縄まで飛び回っていたのです。忙しく過ごしていたある日のこと、急に東京に呼びつけられました。私を批判する会が開催されたのです。「徳洲会の全体の利益を考えずに新井個人が目立とうとするパフォーマンスばかりしている」と批判されました。私生活を犠牲にして、家にも帰らずに指示を受けて飛び回っていたことを批判されたのですから、私の身の置き所は徳洲会にはないと考え、専務理事の辞任のみならず、徳洲会の退職を決断しました。「新井は専務の仕事を勘違いしている、専務理事は自分の考えを持たずに理事長の考えを伝えるだけで良いのだ」と言われたことも決定的でした。であれば私が専務理事である必要などないと思ったのです。
批判され、退職を余儀なくされた私ですが、実はホッとしていました。忙しくしている最中のある日、徳田虎雄理事長が「自分の次の時代の徳洲会は新井の肩にかかっている」と言われたことがあったからです。どう考えても、徳田理事長の能力と比べてはるかに自分の能力は劣っていると自覚がありましたし、私がリーダーシップを発揮しようとしても徳洲会全体が同じ方向に向いてくれるという自信がなかったからです。自分には自信がありませんと辞退するよりも追い出される方が自分は傷つかなくて幸いだという気持ちがありホッとしたのです。
先月から報道される徳洲会の公職選挙法違反容疑での東京地検特捜部による捜査を受けて報道が盛んです。徳田虎雄理事長も理事長職の退任を明言されました。私から逃げ出したわけではありませんでしたが、ホッとした自分の気持ちを覚えていたために、徳洲会の再生に力を貸せない自分が逃げ出したように気がして、ずっと鬱でした。ですからブログも更新できなかったのです。
右向け右と号令をかけても誰も従ってくれなければ、リーダーは無力です。リーダーを担ぐ人たちにとって号令をかけるリーダーは強く映るかもしれませんが、誰も従わないリーダーは無力ですし、哀れです。そうなることを恐れた私はやはり逃げ出したような気がしてなりません。まともなリーダーであれば自分が無力で、多くの支えがなければ何もできないということ知っていると思います。離島へき地医療や災害への救援活動で他に例を見ない活動を行ってきた徳洲会の健全な再建を願っています。次代のリーダーには瑕疵のない手続きを経て選ばれたリーダーだからというだけではなく、理念を共有する仲間が結集できる真のリーダーを期待しています。
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