2013年10月24日木曜日

2番手からリーダーである首席になることは可能なのでしょうか

「前回 来られた時から今日まで調子はいかがでしたか?」と外来にこられた方にはお尋ねします。「何もなかったよ」との答えを受けて診察を終わり、「いつも通りの薬を出しておきますね」とお話しすると「ニトロも出しておいてくれよ」等と言われます。「では胸の痛いことがあったのですか」と聞くと「だからニトロを出してくれと言ってるのだよ」と言われます。こんな方は少なくありません。こちらから積極的に胸の痛みはなかったのですねと尋ねないと聞き落とす事があります。チャンと言ってくれよと心の中で思いますが我慢です。そんな答をいつもする方が心カテのために入院されました。枕元には北方謙三の「楊家将」が置いてあります。ぶっきらぼうでちゃんと症状を言ってくれないのでやりにくいと思っていた患者さんでも読んでいた本で印象が変わります。私も最近、北方謙三の「水滸伝」、「楊令伝」、「楊家将」、「血涙」を読んでいたので、共通した読書癖を見るとこの患者さんに対する好感度が上がります。

この文庫化された4シリーズだけで文庫40冊位になります。腐敗した宋に対する戦いを続ける梁山泊の話ですが、戦いを続けるための経済力である「糧道」や実際の戦闘時の「兵站」の重要性が登場する英雄の強さ以上に描かれます。組織の運営に共通するものがありインスパイアーされます。

宋が倒れ、江南に建てられた南宋の諜報組織である「青蓮寺」のリーダーである李富は次代のリーダーと考えていた郭元が梁山泊の諜報軍である「致死軍」に拉致されると、その次のリーダーには2番手も3番手も登用しません。所詮、2番手や3番手は2番手や3番手に過ぎないとの考えです。

組織における首席と次席は近い位置にいますが全く性格が異なります。かつて徳田虎雄先生は、院長は副院長の100倍の情報を得、100倍の判断が必要だと言われたことがあります。また小さな医療機関である鹿屋ハートセンターの運営でも、融資を受ける努力やその返済のためのプレッシャーなど勤務医時代と比較にならない私には重い責任です。こんなことを考えていた時に関東でPCIのライブを主催されている先生の言葉が目に止まりました。自分が主催できなくなった時に次を担うのは2番手の先生ではなく実力で決まるのだという一文です。組織内部で2番手が苦労しているのは良く分かっているがライブのリーダーは別だとのことです。やはり首席と次席は近いけれども性格が異なるとの考えです。

公選法違反容疑に対する東京地検特捜部の捜査を受けて徳洲会の徳田虎雄理事長が退任され、長く次席を務められた先生が新しい理事長に就任されました。私も徳洲会の専務理事時代に専務会で議論を交わした先生です。20年以上も次席を務められた先生なので順当な選出であるとも言えます。しかし首席と次席はやはり似て非なる存在だと思います。新理事長の立場で考えればこのような状況で首席を引き受けられるプレッシャーは決して小さくないものと思います。また首席と次席は本質的に異なるということもよく承知されていると思います。難局を引き受けられた責任感に敬意を表したいと思います。誰しも初めから首席ではありません。所詮、2番手は2番手に過ぎないのだと思われることを十分に知っておられる先生です。初めて首席として勤められるお仕事に期待し、新しい時代を築かれることを願っています。

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