2015年9月12日土曜日

「演劇と医療のコラボ」というテーマに興味が湧いてきました

昨日の当ブログ「薬剤や手術だけで良くならない患者さんの回復に必要なこと」の中で、患者さんとのコミュニケーションがうまくいった時に、あるいは患者さんの思いと私の思いが共鳴した時に思いがけない回復が起こった例を紹介させていただきました。心に起きる変化が何故、利尿を促し、薬剤の効果を安定させ、あるいは心機能を回復させるのか等は私には分かりません。こうした医師好みの機序の解明は学者に任せるしかありません。

しかしこうした変化が起きるのであれば、患者と医師の心がよりよく共鳴するように医師のコミュニケーション能力を高めなければいけないと思います。「心 こころ」という文字で表される心臓を専門にしている私ですが、心臓はこころも意思も持たない筋肉ですから、その筋肉を扱ったきた私にこころのケアなどできる筈がありません。

どんなベテランの医師でも初めて実施する手術があります。私にとって、初めてのステント植込み、初めてのロータブレーター治療、初めてのDCAに立ち向かう時、初めての患者さんになっていただく方に、「この治療は私にとって初めての治療なのですが、私に術者を任せて頂いても良いでしょうか?」とうかがってきました。こうしてお互いの緊張の中で実施した初めての治療は不思議とトラブルなく過ぎてゆきました。一方、その手技に慣れた頃、トラブルは発生します。これは心の問題ではなく、慣れからくる油断かもしれません。しかし、患者と医師の両者で作り上げるものには成功の神様がほほえんでくれやすく、医師の傲慢に支えられた治療には問題が発生しやすいように感じます。心のケアなどできないことを目指すのではなく医療者として患者さんと、ともに病に立ち向かう一体感を高めるような相互のあり方を考えなくてはと思います。

こんなガラにもないことを考え始めたきっかけは昨日のブログにも書いた浜松大学 臨床心理学 中島登代子先生です。2013年11月23日付当ブログ「音楽座ミュージカル ラブレター を見てきました」に書いた音楽座のメンバーが鹿児島に行くので会わないかというのです。彼らはミュージカルだけではなくミュージカルの手法を用いた人材育成事業もしているので話を聞いてやってくれというのです。最初、何を訳の分からない話をしているのだろうかと感じましたが、中島先生からのお話なので「演劇と医療」というテーマを考え始めたのです。音楽座のweb siteを見たり、実際に彼らと話をしていると、彼らはミュージカルでやり方を見せるのではなく自らのあり方を見せるのだ等と言われます。また、共通の接点が中島先生であるように、彼らは臨床心理をも学んでいます。だからこそ2013年のブログに書いたように、私はただ面白かったと「ラブレター」を見た後に思わずに、なにかし忘れたことに気付いたような焦燥感のような心の揺れを感じたのかも知れないと合点がゆきました。

医学知識で、看護知識で、薬学の知識で患者さんに説明するだけではなく医療者を志した頃の純粋な気持ちを含めて医療者自らの「ありかた」を患者さんに示すというコンセプトは悪くないなと感じます。知識やエビデンスを基に提供してきた医療ですが、同じ知識や経験を持ちながらトラブルの多い医療者や、あるいは製薬メーカーの営業マンであれば同じ知識を持ちながらも成績が出せない方も存在します。先輩から患者とはこう付き合うのだと教えられたり、営業マンも先輩からクライアントとはこう接すればよいのだというような経験に基づいた仕事が連綿と続いてきたように思えます。

他者との心の共鳴を感じたことがない者が、他者との心の共鳴を起こせるでしょうか?彼らは大太鼓で胸に振動を感じさせるような共鳴をミュージカルで起こさせるプロフェッショナルである筈です。まだ海のものとも山のものとも分からない「演劇と医療」のコラボですが、60歳を過ぎた私が人生の終盤に考える価値のあるテーマだと思えてきました。

音楽座ミュージカルのWeb siteは下記です。
http://ongakuza-musical.tumblr.com/

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