人間に限らず、生物の寿命は有限です。それは生身の医師とて同じことです。患者さんの命を守るために努力する医師にも必ず死が訪れます。患者さんの死を遠ざける努力をする自分といつかくる死を待つ自分の二面が医師の中に存在します。
医師は死との距離が短い職業です。私のような循環器医にとっては死という存在は遠いものではありません。
もう5年も前になります。当時80歳を過ぎていた患者さんです。何回も冠動脈のカテーテル治療を受けておられました。他の科の処置を受けた後に腎機能が悪化し、呼吸苦も出現、胸部レントゲンでは広範な間質性肺炎の像でした。気管内挿管をし、人工呼吸器に繋がって命を延ばす努力をする間に肺も治ってくるかもしれないとお話ししましたが、この方は挿管も人工呼吸器も不要だと言われました。いわく「自分は十分に生きてきたから悔いも未練もない」と仰るのです。救命可能な状態であってもご本人が不要だという治療を無理にする訳にはいきません。分かりましたと返事をし、苦しまないことだけを目標にしました。回診の度に気持ちは変わらないの?と尋ねましたが変わらないと言われます。まもなく穏やかに息を引き取られました。最期に立ち会った時に救命できなかったという無力感よりも、医師としてではなく一人の人間としてこのような最後の迎え方って格好いいと感じました。自分が最期を迎える時にはこの方を見習って自分は十分に生きたからと言えたらなと思いました。
ご家族が亡くなった病院に生き残った家族がその後も通院を続けるのはつらいと言われ、病院をかわられる方も方も少なくありません。この方の奥様は今でもハートセンターに通院して下さっています。きっと奥様もハートセンターでの最期の迎え方を受け入れてくれたからだろうと思っています。八十数年の舞台の素敵なエンディングだったのではないかと奥様が来られる度に感じます。
こんなことを思い出したのは昨日9/24に女優の川島なお美さんが亡くなったというニュースに接したからです。何日か前に何かのイベントに顔を出され、すごく痩せていても笑顔で11月にはライブをするのよと話をされたばかりだったのにです。ご主人が川島なお美は最期まで川島なお美だったと言われた通り、女優として最期を迎えられたのだなと感じます。
私たちのカテーテル治療の世界でも、痩せた体でカテーテル治療の未来を学会場で話された後まもなく亡くなられた先輩の先生も思い出されます。カテーテル治療のリーダーとしてそのお立場のままに最期を迎えられたことをある意味幸せだったかもしれないと当時感じたものです。
図は、やはりカテーテル治療の世界の先輩のものです。癌で手術を受けた後も抗がん剤を飲みながら診療を続けられたばかりか、毎週のように講演をされていました。医療事故に際し嘘をつかない医療をというオピニオンリーダーの先生でした。亡くなる前の講演で示されたのが図のスライドです。「ああ、おもしろかった」と多くの人に話しかけて最期を迎えられたことをうらやましくも感じます。
若い頃は、脳出血や心筋梗塞でころりと最期を迎えるのが良いと思っていましたが、最近は癌死もいいなと思います。十分に生きたとかおもしろかったと言って最期を迎えるのは幸運だとも思います。
シナリオのない人生の最期をどう迎えるのかは分かりません。その人生という舞台の主役は、間違っても医療者ではありません。劇的な最期であっても静かな最期であってもたった一回のエンディングを医師としての私が穢すことのないようにと考えます。それはいつか最期を迎える人間としての私の願いでもあります。
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