2015年9月11日金曜日

薬剤や手術だけではよくならない患者さんの回復に必要なこと。

 久々のブログ更新です。前回、心房細動患者でどの新規抗凝固薬(NOAC)を選択すべきか、ある条件で統一して比較して決めようということを書きました。しかし、ブログのように気ままに書くものに制約を付けたのが失敗でした。テーマを決めてしまうと書けなくなったのです。これからは次回の予告などせずにまた気ままに書こうと思います。

上段から3つの胸部レントゲン写真は同じ患者さんのものです。僧帽弁閉鎖不全による心不全で入退院を繰り返しておられます。高齢のために手術はもうできません。体重が4㎏も増えて全身の浮腫が強くなり呼吸苦も出てきたために入院して頂きました。それまで内服して頂いていた利尿剤に加えてトルバブタン(サムスカ)も追加しました。その追加後の写真が2番目の写真です。胸水が増加しています。体重も減少しないだけでなく増加していました。

夜間に隠れて飲水しているところを看護師に見つかり注意されると怒りだし、怒鳴り散らしていました。入院中ですから内服は確実です。良くならないために注射での利尿剤も頻繁に追加していました。飲水制限をちゃんとしてくださいと注意をし、怒鳴り返されるということを繰り返しているうちにもう仕方がないのかなと私も考え始めました。

本人とご家族を交えて、残りの命が短いのにちゃんとしろだとか、好きにさせろとか争うことはもう止めましょう、人生の最後の過ごし方はご自分で決められても良いですよとお話ししました。2月の終わりでしたのできっとお花見の頃までは持たないと思うとお話しし、ご家族との最後の時間を大事に使ってくださいとお話ししました。そうしたところ「自分も本気を出さないといけないな」と急に殊勝なことを言われました。ほぼその日からです。体重を1㎏減らすのにも難儀をしていたのにみるみる体重が落ち始めたのです。3番目の写真は退院後のものです。胸水もすっかり消えました。体重も入院した頃より20㎏以上も減りました。短気を起こしてばかりだったのににこにこと外来に来られます。どうあがいても良くならなかった頃と同じ薬しか飲んでいないのにです。この患者さんを見て患者さんが良くなるために必要な要素は、医師が考える薬だけではないなと感じます。病識がないとか、アドヒアランスに問題があるとか患者さんに問題があると考える医療者と、患者さんの対立軸の中では改善がないのではないか等とも考えます。

 拡張型心筋症などに使用される心臓再同期療法(CRT)に反応しない方、ベータブロッカーやACE阻害剤、ARBに反応しない方などでも、心臓の状態やリードの位置やCRTの設定だけではない要素があるのではないか等と感じます。

最下段の図は別の患者さんです。僧帽弁置換術を受けているためにワーファリンが必要な方です。1㎎の内服でもINRが極端な高値になったり、3㎎の内服でもINRが低値のままであったり全くコントロールできませんでした。他の薬剤を内服していないか、ちゃんと内服しているのか等と問い詰めるばかりの外来でした。それがある時から安定し始めました。問い詰める気持ちもなくなり、ちゃんとしろという気持ちもなくなった後、なるべくその中でも問題が起きないように頑張ろうと考え始めてから安定し始めたように感じます。

患者教育だとか患者指導だとか、医学的な知識を振りかざして患者さんを抑圧し、閉じ込めていると実現できなかったものが、よくしたい、よくなりたいという共通の目標のために共感し、心が共鳴し合った時に実現するものがあるような気がします。目に見えるものだけを対象に知識や経験を駆使してきた私がこのように考えるのはきっと数年前から一緒にケースカンファレンスをしている浜松大学の臨床心理学 中島登代子先生の影響だと思います。目に見えるものだけを見て診療する医師からは新井はおかしくなったのではないかとか、心で患者が良くなれば苦労はない等と言われるかもしれませんが、患者に共感し、共鳴しても失うものはありません。患者さんと心が共鳴することができれば薬もカテーテル治療も必要ない等と思っている訳ではありません。しかし、薬や手術だけではない要素にも目を向け大事にしてゆきたいなと感じます。

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