2012年10月9日火曜日

今、そこにあるキミ 山中伸弥教授のノーベル賞受賞に思う

 秋になりもう金木犀の季節になろうかという時期ですが、我が家の金木犀は我が家に来てからまだ花をつけたことがありません。我が家の金木犀は息子の幼稚園の卒業記念に全員に配られた幼木が育ってきたものです。幼稚園生であった息子も来年春には小学校を卒業し中学生になります。息子が思春期を迎えようとしてもまだ花も咲かない金木犀です。金木犀は大木にはなりませんが、大樹も大樹になるためには根を張る期間が必要です。大器は晩成すと言いますが、花を咲かせ実を結ぶ(金木犀は実を結びませんが)にはやはり年月が必要ということでしょうか。


 私は医師になって三十余年ですが、すぐに何でもできるようになった医師や看護師よりも、ドジで要領が悪く駄目かと思った人の方が大成した例を少なからず見てきました。不器用であるからこそ、誰もが何も考えずにできることでも考えながらできるようになり、誰もができないことであっても考える作業を通じてできるようになるのではないかとさえ思います。


 山中伸弥教授のノーベル賞受賞の報を聞き、かつて見た若い研修医を思い出しました。かれも山中教授と同じ神戸大学医学部卒業でした。徳洲会の研修医として新卒で就職してきた彼とは、福岡徳洲会病院で初めて会いました。痩せて線が細く、いかにも優しいという印象の彼でしたが、「さっさと診ろ!」というような患者さんの前では足がすくみ、何もできませんでした。そんな日が続くうちに彼は出勤しなくなり、再三の出勤の要請にも応えなくなりました。当時、私は循環器部長として福岡徳洲会病院にいましたが、ローテートを原則とする徳洲会の研修システムから離れて自分のところに来ないかと私も声をかけましたが、彼は結局退職しました。その後の消息は知りません。彼も山中教授のように違う環境で大きく羽ばたいているだろうかと思いだしたのです。

 山中教授は整形外科を志し、国立大阪病院の整形外科で研修を受けたそうですが、不器用で手術が下手なために「じゃまなか」と言われていたそうです。挫折感を持って研究者としての道を歩み始めたからこそ、今回の受賞に至ったとも言えます。山中教授は循環器にも興味があったそうですから、もし若い山中教授を預かって、循環器医を志す彼に循環器は向かないから研究者になる道もあるよと示すことができただろうかなどとも思います。その診療科やその病院、その分野に合わないからといってその彼に価値がないわけではありません。入学の難しい医学部を出てきた存在ですから、適合する土壌があれば花開き結実するはずだということを山中教授は示されたのだと思います。

 上司と合わない、スタッフと合わない、病院の雰囲気と合わないと感じている多くの若い医師がいるのだろうと思います。医師だけではなく、看護師も技師も同じであろうと思います。「自分はダメだ」と思い始めた若い医療者も大勢いるだろうと思います。そう思っているキミの不遇はきっと大樹に育つための根を養い、キミに適合する土壌と出会った時に大きな花を咲かせる準備だろうと思います。前を向くことを忘れず、自分の力を信じていれば、自分を諦めなければ、きっとキミに合う土壌が見つかるだろうと思います。

次の「じゃまなか」教授はキミかもしれません。要領がよく何でもできて前に進んでゆく同輩はきっと山中教授にはなれないと思います。今、そこにあるキミの不遇に勇気をくれた「じゃまなか」教授に感謝しなければなりません。

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