2012年10月29日月曜日

シース抜去・止血時の至高の時間

 本日は4件の冠動脈造影でした。3例はPCIをするほどのこともなかったので診断カテで終了し、1例にPCIを実施しました。すべてRadial approachの予定でしたが1例は穿刺がうまくできずにBrachialの穿刺になりました。とはいえ、いずれも上肢からのapproachですからカテ後の、シース抜去、止血は不要です。

 月曜と金曜は鹿大から先生が来てくれています。なるべく多くのカテが経験できるようにそけいからのアプローチになった時にはシース抜去、止血は私が行い、鹿大の先生には次の患者さんのカテをやってもらっています。8月に福岡済生会病院の芹川先生が見学に来られた時に、穿刺した医師がシース抜去・止血をするべきではないですかと言われました。穿刺から止血まで責任を負ってこそカテを全うするという考え方です。非常に真っ当な考え方だと思います。しかし、今の鹿屋ハートセンターのスタイルだと最終的な責任は私が負っていますし、折角、遠くから研修に来られる先生が止血で時間を費やしては勿体ないと思っているので今はこのスタイルで良いと思っています。

  Radial approachが増え、Femoral approachは減少しましたが、ゼロにはなりません。PCI後の止血にかつては止血デバイスを使っていましたが、最近はほぼ全例用手圧迫で止血しています。デバイスを使ってうまく止血できたときは良いのですが、うまくいかなかったときの血腫や末梢の閉塞をを考えれば、用手圧迫が良いかと思ってのことです。用手圧迫を選んでいるのにはもう一つの理由があります。止血している時間が貴重だからです。

 色々な患者さんがいます、止血している10分ほどの間、ずっと話している人もいますし、じっと黙っている方もいます。じっと黙っていられると止血している時間を長く感じるので、なるべく話をしようと思っています。

 鹿屋ハートセンター開設以前に自分で止血していたのは20年ほど前の湘南鎌倉病院時代でしょうか?福岡徳洲会では部長でしたので若いスタッフの先生が止血をしてくれていましたし、大隅鹿屋病院時代は院長でしたからやはり若い先生が止血をしてくれていました。湘南鎌倉病院時代、止血時に好んで話していた話題は、今までの人生で一番楽しかったのは何歳位の事かということです。当時の80歳位の方に共通した返事は60歳代というものでした。意外でした。恋愛や結婚をする20歳代や30歳代でもなく、仕事で一人前になる30歳代や40歳代でもなく、当時であれば定年になる60歳代だと言われるのです。何故、60歳代なのかは深く突っ込んで聞きませんでしたが。この会話の記憶から、私は私の60歳代を迎える日を楽しみにするようになりました。数年後に迎える60歳代が人生で最も楽しい年代と思うとわくわくします。

 60歳代を迎える日を楽しみにしていた私ですが、最近、本当に60歳代は最良なのだろうかと思い始めました。20年前の80歳の方の60歳代ですから、今から40年ほど前です。1970年頃です。高度経済成長の円熟期で、バブル時代の前です。この時代が良かったから最良と感じただけではないかとも思えるからです。右肩上がりに景気が良くなり給与も増え、何もかもが豊かに便利になっていった時代です。時代が最良を決定していたとすれば、デフレで給与も下がり続けるこの日本で最良の筈の60歳代が来ないではないかと心配になってきたのです。とはいえ、最良を規定するのが年齢なのか時代なのかは、私であればもう数年で答えが出ます。時代ではなく年齢が規定するのだとポジティブに考えておくことにしましょう。

つまらない時間と思えば、シース抜去・止血は本当につまらない仕事ですが、人生の先輩から濃密な教えを乞う時間と思えば有効な時間です。こうした密着した時間を患者さんと共有することは他には困難です。この先も、このシース抜去・止血の時間の至高を楽しみにしましょう。

1 件のコメント:

  1. 僕は今では穿刺の機会が減ってきたんですが、たまに止血したくなって無理矢理うばってでもIABPやたまにPCPSを止血したりしてます。そこで改めて穿刺の大事さを知り、止血するとき動脈の真上を有効に確実に押さえることが、結局は穿刺を前壁に一回でさせることにもつながると思います。そしてその際の患者とのコミュニケーションもいろんな意味できついときもありましたがいい時間でした。

    それを強要することも今では無くなってきましたがその重要性は上司から教わったものではなく自分でそう思ってきたような気がします。

    ですからその感覚が同じであることは、先生から直接指導を受けたわけではありませんが、凄く嬉しかったです。

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