2013年11月26日火曜日

耳に心地よい言葉は道を誤らせ、苦い言葉が正しい道を示してくれると思っています。


私は2000年8月に福岡徳洲会病院から大隅鹿屋病院に転勤しました。ただ、大隅鹿屋病院にはその年の冬頃から時々顔を出していました。大隅鹿屋病院の私の前任院長は、自由連合から衆議院選挙に2度にわたって立候補した人でした。

朝の医局会で驚きました。医局員から選挙にかまけて病院経営をないがしろにしているせいで病院はがたがたではないか、どうするつもりだ等と怒号が飛び交う医局会だったのです。こんな光景を知っている医師も、もう大隅鹿屋病院には残っていません。この前任院長と何度か個人的にも話をしましたが、言われても仕方がないなぁと思いました。医局人事は徳洲会の院長の仕事ではなく、本部の仕事だ等と言っておられたからです。私の感覚からすれば院長の仕事の大半は医局人事です。当時、大隅鹿屋病院は徳洲会グループ内の病院にあって最も経営の悪い病院でしたが、さもありなんと思っていました。

2000年の4月頃、前任院長は夏になると忙しくなるので病院をどうするかな等と言っておられました。どうして忙しくなるのかと尋ねたところ、夏には国会に行かなければならないからだと言われるのです。2000年6月の衆議院選挙で鹿児島5区で当選されたのは山中貞則さんです。盤石の地盤です。ダブルスコアで当選されました。予想通りの結果でした。前任院長のことを、この人は何を寝ぼけているのだろうと思いましたが、聞くと、自分を支持する人にしか会ったことがないと言うのです。当然です。支持しない人が何か言ってくるはずはないのですから自分に声をかけてくれるのは支持する人だけです。そうした周りを見て、現実が見えなくなってしまうことに恐怖を感じました。徳洲会は深く選挙に関わったグループですから多くの立候補者を見てきましたが、とても当選するはずがないと思われる人も一様に当選すると思っておられました。耳に心地よい言葉だけを聞いていると、誰にでもわかることが分からなくなります。

図は、私の名刺です。患者さんに配っています。1994年から患者さんにお渡しするようにしたのでもう少しで20年になります。携帯番号を記載しており、何かあったら直接電話してきても構わないとお話ししています。1999年、奄美大島宇検村でも医療講演を行った時にも同様の名刺を聞きに来てくれた方たちにお渡ししました。その時、「お前は偽善者だ」と批判されました。何故かと聞くと、小さな字で印刷された携帯番号をお年寄りが読めると思うのか、読めもしない名刺を配って善い人ぶってるから偽善者だと言われたのです。なるほどと思いました。以後、名刺に記載する携帯番号の文字はやや大きく太くするようにしました。批判が改善につながりました。

病院長を引き受け、病院の再建に取り組んでいる時に、ありとあらゆるところに出かけてご挨拶をしました。ある人には、「お前のところなんかに行ったら殺される」と面と向かって言われました。医師になってから初めての経験でした。しかし、良い経験でした。そんな批判にさらされなければ再建のための動機付けができなかっただろうと思っています。

こんなことは病院経営ばかりではありません。苦労してPCIを成功させ、心不全も離脱してうまく治療できたと思っていた患者さんがおられました。外来通院中、先生のおかげで助かりました、先生を神様のように思っています等と過剰なほどに言っておられた方でしたが、心不全が再発しICUで不穏になられた時には、「人体実験のようなことばかりして俺を殺すつもりか」とののしられました。不穏になり抑制がとれ、本音が出ればその患者さんの考えていたことは感謝ではありませんでした。

耳に心地よい言葉はもちろん聞いていて悪い気はしませんが、判断を誤らせます。一方、面と向かって医師や病院長に苦い言葉をぶつける人に嘘があるとは思えません。価値のある言葉は耳に痛い言葉だと思っています。

諫言を受け止める懐と、諫言をする雰囲気のある組織には未来があると思っています。耳に心地よい言葉だけで運営される組織があるとすれば、その将来が心配です。

0 件のコメント:

コメントを投稿