6月20日に新規抗凝固薬(NOAC)の講演会に鹿屋医師会館まで行ってきました。脳梗塞治療を専門にする神経内科の先生のご講演です。こんな風に発症し、こんな風に進展してゆくのだよというお話を伺っていてずっと死んだ父のことを考えていました。
10数年前に上肢の痺れを自覚しかかりつけの先生に受診しました。脳梗塞の発症を疑った主治医の先生は、父の自宅近くの大阪のナショナルセンターの脳内科に電話してくださいました。ナショナルセンターの先生はマヒがあるのかと質問され、ないと返事するとそれならば来院して何の治療をしてほしいのだと冷たく対応されました。しかたなく主治医の先生が入院下に様子を見ていると完全な片マヒに進展しました。再度、ナショナルセンターの先生に電話して下さった先生に返ってきた返事は「完成したマヒをどうやって治せというのだ?」と更に冷たい返事でした。困り果てた先生からの話を聞いた母からようやく私に連絡がありました。この大阪のナショナルセンターには循環器分野でよく知っている先生がおられたために、私から何とかお願いし転院は実現しました。入院後に発作性心房細動が見つかりました。大阪に駆け付けた私に、父は初めて子供の前で涙を流し、自分の人生は終わりだと嘆いたのでした。マヒが出現する前に相談を受けたのにもかかわらず診察を拒み、マヒが完成したら手遅れだろうと言った医師を許せないと思いました。
その後、リハビリに精を出していた父は車いす生活までには回復したものの、片マヒを嘆きながら6年前に旅立ちました。
この件が私をして心房細動の抗凝固療法へのこだわりを強くしたのだと思います。当時は抗凝固療法はワーファリンしかなかったのです。唯一の武器・戦友がワーファリンでした。私が診る患者さんには持続性であれ発作性であれワーファリンを処方し、脳塞栓を防ぐとともに脳出血も起こさないと緻密な管理を心掛けてきました。このため当院のTTRは75%を超えています。また、300名ほどの心房細動患者さんを6年以上管理し、脳梗塞や脳出血の発症はあったものの6年間の通算で両者の発症は10名にも満たないものでした。年率は1%を切っていると自負してきました。
私がワーファリンに肩入れする気持ちは父に対する思いが原点です。それが故に思いが強くNOACに距離を置いてきたのかもしれません。もし、より良い成績がNOACで実現するのであれば、冷静であるべき医師である私の行動がこんな風に規定されてはならないと思っています。個人的なこだわりのために発症する脳出血があるとすれば、私は大阪のナショナルセンターの医師と変わらないではないかとさえ思います。
十数年前の腹立ちは胸に納めて冷静に患者さんに向き合いましょう。
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