2012年12月25日火曜日

医療の充実を求める心情と、充実を排除する言動

 1994年に湘南鎌倉病院から福岡徳洲会病院に転勤しました。当時、福岡都市圏で最もPCIの多い施設でも年間のPCI件数は100件もなく、全国の政令指定都市で最もPCIの普及が遅れた都市でした。私は、福岡都市圏で最もPCI件数の多い施設を作るのだと頑張っていましたが、もう一つ頑張ったことは、PCIの恩恵を受けることができない、対馬や奄美大島にPCIの灯を燈すことでした。このためテレビ電話を通じて若い先生が現地で実施するPCIを監督し、対馬や奄美大島でも安心して急性心筋梗塞に対するPCIが受けられるようにしたのです。この試みの成果はAHAや日本循環器学会でも報告しましたし、テレビのニュースジャパンや特命リサーチ200Xでも紹介されました。テレビで紹介された後、福岡徳洲会病院には鹿児島市内や宮崎市内からもPCIを受けたいと患者さんが来られました。

来られた患者さんに、鹿児島市内であれば国立鹿児島医療センターも実績があるし、宮崎であれば市郡医師会病院も上手なのにとお話ししましが、来られた方は田舎の医者は信用できない、やはり都会の医師の治療を受けたいと一様に言われました。

2000年、やはりテレビ電話でPCIを支えるよりも直接現地でPCIができる方が良いだろうと考え、既に福岡都市圏で最も多いPCIを実施していた福岡徳洲会病院での部長のポジションを後輩に譲り、志願して鹿屋に転勤しました。しかし、湘南鎌倉病院でのPCIの立ち上げや、福岡徳洲会病院でのPCIの発展よりも鹿屋でのPCIの立ち上げには苦労しました。

鹿屋の近くの町で安静時の胸痛が持続するという方が発生し、救急車で鹿児島市内に向かわれました。冷や汗もかき、危ないと判断した救急隊員は既にPCIを始めていた大隅鹿屋病院にその患者さんを連れてこられました。STは上昇していなかったものの不安定狭心症と判断した私は、鹿児島市内まで行くのは危険だからここで治療しましょうとお話ししましたが、余計なことをするなと叱られたのです。鹿屋で働く医者など信用できないから、死んでもいいから鹿児島に行くと言われたのです。福岡に勤務していた頃には九州中から患者さんが来られたのに、鹿屋で勤務した方が鹿屋の方のためになるとも思っていたのに、現地で働きだすと信用できないと言われショックでした。

同じような経験は鹿屋におけるPCIではないですが徳之島で経験しました。徳之島の病院に東大卒の小児科医が赴任されました。natureという世界でも最も権威ある医学誌にFirst Authorとして論文を採択されたこともある先生です。研究は研究室の方針のよってなされ、医師ではない研究員がほとんどやったことでFirst Authorになったのは自分が医師だったからだけだと謙遜されていました。その先生が、私と同様に十分な医療供給がなされない島のためにと研究室をやめ赴任されたのです。まじめな先生でした。熱発の小児を、中耳炎ではないかと耳鏡で耳を観察し、咽喉を見て、胸も腹部も丁寧に診察していたところ、お母さんから「何をぐちゃぐちゃ、診察しとるねん、さっさと薬をだせばええねん」と叱られたそうです。徳之島から大阪に就職する方が多く、大阪弁を話す方が多いのです。こうこうこういう理由でと説明しても「東大出がなんぼのもんやねん、もたもたして一つも役に立たん」と言われたそうです。この先生はこんなことが続いたために退職されました。そして今でも徳之島の医師不足は深刻です。

奄美大島におけるPCIも地元でできた方が良いだろうと立ち上げました。しかし、鹿屋ハートセンター開設前の浪人時代にPCIのお手伝いにうかっがていた鹿児島市内の病院には次々と奄美の方が治療を受けに来られていたのを見て、地元での治療を必ずしも求められていない現実を知りました。

どこの地方でも地元の医療の充実を求めない筈がありません。その気持ちに応えようとした時に、「こんな田舎に流れてくる医師など信用できない」と拒絶する空気が少なからず存在します。

一昨日、2012年12月23日付当ブログ「医療上の24時間365日の安心はただではない」に対して青森の先生からコメントを頂きました。下記です。

医師不足の一番の問題は、新しい医者が田舎に残らないということではありません。医師を大切にしないので、医師が出ていくのです。もしくは、医者に出ていけというのです。
「医師の数=増える数-減る数」で、増えないばかりが注目され、減る数が多いところはなかなか着目されません。ここを問題にしないのは、環境の責任者やとても偉いつもりの先生達が、自分の責任を問われるからです。
こんな情けないのが田舎の現状です。
民度を高くするしか、日本の医療を救う道は無いと思っています。


青森県でも同じようなことが起きているようです。地元での医療の充実も求めながら、田舎に流れてくるような医師は信用できない、都会で仕事を見つけることができない医師は信用できない等と医師を排除する行動です。このために医師ももう田舎では働きたくないと考えます。悲しい負の連鎖です。12月23日付のブログと同じ結論を書きます。地方における医療の充実には、地元の皆さんと医師との共同した努力とお互いを労わる精神が不可欠です。ろくな医師が来るはずがないという気持ちを地元の皆さんが持ち続ける限り、その土地には医療の充実は決して訪れないように思います。

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