2012年6月29日金曜日

叱られる幸せ

昨日は、きちんと治療に向き合ってくれない患者さんに対して、医師が叱る話を書きました。もちろん、腹が立って怒っているのではありません。本日は、医師が叱られる話です。

循環器を始めて間もない頃、発作性心房細動の方の受け持ちになりました。抗不整脈剤を内服すると洞調律は維持されるものの徐脈でふらふらすると患者さんから言われました。抗不整脈剤を内服しないと心房細動が続くものの心拍数は維持され、患者さんは調子が良いと言われました。このため心房細動のままで良いかとそのまま抗不整脈剤を内服しない状態で様子を見ていたところ、部長から心房細動の方が良いというような医者は循環器に向かないとこっぴどく叱られました。今思えば、洞機能不全ですから、ペースメーカーも考慮して、洞調律の維持に努めた筈です。

若い頃は、よく叱られました。必要な薬を出し忘れたり、大事な所見を見落としたりです。また、遅刻して怒られたこともあります。こうして叱られながら年数を経て、自分より若い先生を指導する立場になってゆきます。腹痛で来院され、腹部に拍動性の腫瘤を触れるものの、観察室で死に至った患者さんがおられました。その患者さんを診た若い医師に、なぜ、すぐに外科に回さなかったのだと問い詰めたところ、バイタルサインが良かったからだと言われました。バイタルが良かったからこそ救命できたケースなのに、お前の判断で患者が死んだのだと強く叱りました。その若い先生から、自分の所為で死んだわけでもないのに人殺し呼ばわりされたと、後から随分と陰口を言われました。

部長を補佐する立場になると、自分の診療を部長から叱られることもありますし、若い医師の指導が不十分だと叱られることも出てきます。また、若い医師から自分もミスをするくせに自分たちを叱るなと言われる立場にもなります。

科を率いる部長になった時にはもう、叱ってくれる人はいませんから、陰口を言われるだけです。でも、ミスが全く発生しない筈もないわけですから、叱ってくれる人に助けられずに、自分でミスをチェックしなければなりません。だんだんと叱るという形で助けてくれる人がいなくなってきます。しかし、部長や副院長であれば、他科の部長や院長から、診療内容ではなく科の運営に関して叱られる場面もあり得ます。

2001年に大隅鹿屋病院の院長になった後、小さな診療の場面で叱ってくれる人はもう1人もいません。でも徳洲会のグループ病院ですので、病院の運営に関して手を抜いていると徳田虎雄理事長から叱られました。何もしないで実績が上がらなければ、叱られて指導される通りの運営をすればよいですし、何か自分で考えて実行したことが誤りであっても、指導を受け入れて言われることに従っておればよかったわけですから、ある意味、楽な院長職でした。

現在、自分自身がオーナーシップを持って、鹿屋ハートセンターの院長を務めているともう、誰も叱ってくれません。患者さんからの評価があるだけです。この立場になると、以前の叱ってもらえる立場は楽であったと心底、思います。

叱られる立場にいると、その立場がいかに楽で幸せであるかをなかなか実感できません。自分が悪かったわけでもないのにひどいことを言われたと被害者意識ばかりが高まるかもしれません。しかし、何時か年齢を重ね、叱られなくなった時に、その立場の危うさを実感すると思います。患者さんに対する愛情だけではなく、職員に対する愛情も忘れずに、叱ることを続けましょう。もちろん、ほめることも忘れずに。

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